2026.07.08 00:00
コラム

松山千大が自らジャージーを脱ぐことを決意したのは、昨季(24-25I終了後のこと。加入2年目のシーズンを終えたばかりの頃だ。
「ぼんやりと考えていたのは、去年のシーズンの途中くらい。そういう気持ちが芽生え始めて、オフシーズンに決めました。ラスト1年、最大限やろうと。ラグビーって狭く深く求めていく。10年後の自分を考えたら、いま投資すべき時間、場所は違うなと」
家族に伝えたのは昨年の夏。シーズンが始まる前だ。
「高校も大学も就職も全部ラグビーが関係している。これまでも全部自分の判断で決めてきたので、“今年で辞めようと思ってる”と事後報告でした」
3人兄弟の一番下。兄2人の影響でラグビーを始めた末っ子の判断を、家族は驚きながらも納得してくれた。「ラスト1年最大限やろうと」決めたシーズン。5月8日、三重Hとのミライマッチが引退試合となった。
「職場では(引退を)大きな声では言えなくて、細々と伝えてはいたんですが、職場の奥野(OB=徹朗さん)さんが、総動員をかけてくださって」
平日の昼間だったにもかかわらず、名前入りのマフラータオルを持った一団が鈴鹿のスタンドに陣取った。大阪から家族も駆けつけた。
「泣きそうになりました」
職場の仲間は松山の仕事への思いを組んでくれていた。引退にあたりキャリアに繋がる部署の希望を出し、6月1日から堤工場人事グループから生産管理部に変わった。部内異動のため、これまで支えてくれた上司や仲間も変わらない。今は終日業務に没頭する毎日だ。
「まだ、ちんぷんかんぷん。この前、15分のミーティングでわからない単語を書き出したら10個以上あった。辞書を作ろうかなと。僕が扱う業務は現場に足を運ぶことも多くて、1日1回は現場の方とも話をします。“車って、こんな風に出来てるんだ”“この部品はこんな風に使うんだ”という新鮮さ、楽しさはあります」
ラグビーを離れることを決めたのは、2年目にノースオタゴに留学したのがきっかけだった。
「現地の人の良さ、やさしさと温かさ。そして英語の壁にぶち当たって、がむしゃらにもがいたら、それなりに英語力がついてきた。そこで“自分のこれまでの時間の使い方ってどうだったんだろう”と。留学から帰った後、私生活の時間の使い方を見直しました。あの留学で考え方が180度変わりました」
ラグビーでの留学が今後の人生のターニングポイントとなった。現部署を希望したのも、海外で働く将来を見据えてのことだ。留学後、個人的に始めた英語の勉強は今も続いている。
「海外に身を置いたことで、色々な人の考え方や街並み、カルチャー…。“こんな世界もあるんだ“と。ラグビーで行ったんですけど、ラグビー以外から得られるものがめちゃくちゃ多かった。あの経験をさせてくれたヴェルブリッツの皆さんと、オマルの方には感謝しかない」
大阪桐蔭高キャプテンとして同校初の全国高校大会優勝に貢献。帝京大でも主将を務め、大学選手権連覇に導いた。これまで先頭に立って全力で走り続けてきたから、新しい種が芽を出すベースは豊穣だったのだろう。大学の同期には一足先に思いを告げていた。
「ヤブ(大籔洸太)は“嘘やろ”という感じで濁された感じで、一瑳(山川)は“お前らしいな”と。樹平(谷中)は“引退しても仲良くしような”と。三者三様でした(笑)」
料理好きの料理上手。今も三食、自分で用意する。「キッチン・チヒロ」は同期以外の選手も訪れるなど大盛況だった。
「前から寮を出て一人住まいをしていたので、そこのコネクトはこれまで通り。寮よりキッチンが広くて、より快適な食堂かと(笑)」
チームは離れてもヴェルブリッツの仲間は変わらず訪れる。最近の人気メニューはローストビーフだ。
まだ十分に身体は動く。ジムで週4回身体を動かしているが、クラブチームの誘いは固辞している。今やりたいことが別に出来たからだ。
「現役時代、職場の飲み会に行ってもよくわからなかった話が分かるようになって視野が広がった。そこの面白さはあります」
周りからしばしば未練はないかと聞かれるが「ありません」ときっぱり。
「ラグビーをやってなかったら、ここまでこられなかった。今の気持ちとしては、“ラグビーにありがとう”しかない。ここでの経験を次の舞台でどれだけ伝えられるか楽しみで、ラグビーを終えられた。これからは仕事で新たな世界を見に行きます」
これからはビジネスのフィールドが戦いの場だ。

24年、NZノースオタゴに留学したのが人生の転機となった