2026.07.08 00:00
コラム

バティリアイ・ナレワスエスエ・ツイドラキは今シーズン、かつて父もプレーしたチームで、現役生活に別れを告げた。
愛称スエ。ミドルネームが由来だ。亡き父パティリアイさんは愛称パット。フィジー代表でプレーした後、95年にトヨタ自動車ラグビー部初の外国人選手として来日した。リーグワン前身のトップリーグも生まれる前の時代。細身ながらシャープな走りで全国社会人大会で活躍。日本代表にも選ばれ、1999年のワールドカップにも出場した。
1995年、オークランドで生まれたスエは生後半年で家族と共に来日、豊田市の住人となった。
「小さい頃はお父さんの応援に行った記憶があります。応援するというよりグラウンドの横で、お姉さんや弟、田村兄弟(優=横浜E、煕=浦安DR)と一緒に遊んでいました」
現在リーグワンで活躍する田村兄弟の父・誠さんは父のチームメート。幼い頃を共に過ごした。家族は社宅に住み、スエも日本の幼稚園と小学校に通った。
「その頃は日本語しか話せませんでした」
2001年、スエが7歳の時、父は現役を終え、一家でフィジーに帰国する。
「自分は日本で生まれ育ったみたいなものだし、日本への思いのほうが強かった。残りたい気持ちはありましたけど長男だし、お父さんとお母さんに“それは無理でしょ”と言われて」
帰国した翌年、父は病で33歳の若さで急逝。その後も家族とフィジーで暮らしていたが、NZに住んでいた祖父母からの申し出で、16歳でNZの高校に進学する。
「フィジーは小さな国でチャンスがあまりない。お母さん一人で子供4人を育てて、さらにお母さんの兄弟の面倒も見ていたので、おじいさんとおばあさんが“スエがラグビーで頑張りたいのなら、こっちで面倒を見るよ”と。簡単なことではなかったけど、この先家族を助けるためには、自分がやらないといけないと」
その頃の夢はフィジー代表になること。フィジーU20代表に選ばれ、フランスのクラブから誘いも来たが「お母さんの“フランスは遠すぎる”とのひとことで…(笑)」
トヨタからオファーが来たのは、フランスの話を断り、オーストラリアでプレーしていた時のこと。父パットさんを日本に呼び、その後もなにくれとなく家族の面倒を見てくれていた元監督の平井俊洋さんも、後押ししてくれた。
「こんなチャンスは二度とないと。言葉では説明できないくらい嬉しい気持ちでした」
2017年、22歳の時に子供の頃から慣れ親しんだ豊田に戻ってきた。
「自分にとってはセカンドホーム。幼稚園や小学校を通ると“ここで皆で買い物したな”とか、“ここ歩いてたな”とか思い出しました。新しい経験をするというより、家を離れてるのに家にいる感じがしました」
公式戦デビューはトップリーグ時代の2020年。2022年には2歳違いの弟ヴィリアミも摂南大から加入した。
「トヨタで絶対に頑張って優勝しようと頑張ってきました」
だが順風満帆とはいかなかった。3~4年目頃から膝のケガに悩まされた。最近では脳震とうも続き、出場チャンスは限られた。出られない時には移籍もよぎったが、関係者から「将来的に会社に残って働いたらどうか」と提案された。
「自分のことを選手としてだけでなく、人として見てくれていたんだなと。嬉しかった」
このまま豊田での生活を続けることを決めた。5月8日、三重Hとのミライマッチが引退試合となった。9歳で楕円球を手にし、ヴェルブリッツでは9年の現役生活。日本語、英語、フィジー語を駆使、仲間を繋ぐ存在だった。
「最後の試合の後は弟とハグして、言葉が出ないくらい泣くしかなかった。一緒に出たかった気持ちもあるし、ここまでラグビーが出来たトヨタへの感謝の気持ちもあった」
忘れられないのは24-25シーズン最終節・5月10日に豊田スタジアムで行われたS東京ベイ戦。スエは13番、ヴィリアミは11番で揃って先発した試合だ。フィジーにいた時は学年が違うため、2人一緒に試合に出たことはなかった。初めて実現したのは、ヴェルブリッツでのミライマッチ。公式戦は23-24シーズンのBL東京戦が初めてだった。
「弟と出るとやっぱり違いますね。考えが通じ合える。互いのミスをカバーしあったり、何かおかしかったらはっきりと言える。それはチームのためになることだから、喧嘩とは違う」
フィールド外でも兄弟で幼い頃から競い合ってきた。
「子供の頃から腕立てや腹筋、どっちが多くできるか毎日勝負してました。1日400回とか(笑)。互いに負けたくない気持ちでやってたんですけど、自分がここまでやれたのは、弟のおかげでもあります」
現役を終えしばらくして、弟と食事したときのこと。
「弟から“自分が試合中にいいプレーをしたら、負けたくないからもっといいプレーをしようと思ってた”と言われました。僕も同じ。弟がいいプレーしたら“もっといいプレー見せたるわ”と思ってプレーしてた。試合の映像を観たらわかると思います」
7月からは社員としてトヨタスポーツ推進部に所属。これからはスタッフとなり、チームを支える側に回る。
「新しい経験にワクワクしてます。ずっと日本代表になりたいと思って頑張ってきた。プレーはここで終わるけど、スタッフになっても、これまでと同じ気持ちでぶつかりたい」
弟からもメッセージをもらった。
「プロでやっていた外国人選手で社員になるのは初めてだから、頑張って道を作ってほしい」
父はトヨタ初の外国人選手として、道を切り開いた。今度はスエがその道に枝葉を茂らせていく。

ミライマッチ翌日、リーグワン全試合を終えて弟(ヴィリアメ)と